2022/7/3
語り
1.ルックの背景について
2.サービスへの対価/情報の密度について
3.最後に
1,僕は、社会で大人らしさを培ってきて、様々な音を受容するようになってきた。 他者の辛さとか、社会の需要とか、強い人の言論とか。 そんな様々な音の中で、揉まれて、内なる声は遥か遠くへかき消されてしまったけれど、 僕は、絶えず社会的に自立し始めようとし、いつか確固たる私=自己のハードを形成する。
それが皮膚を覆い、第二の皮膚として布や金属や電子機器を介して、表層に現れる。
服はそのハードの1つであって、僕ははさらにTPOを意識して表層を選び、
社会的価値と照らし合わせて身に付けるだろう。
けれどchildhoodを思い返せば、その過程において、鼓膜に届かぬほどの声で、「僕」は身体と最も近しい場所から
微かな音を発信し続けている。その音が何であるかは、いまだ分からないけれども、
身体の快適性と位置付けて、第二の皮膚を形成してみようと思った。
さらさらとか、すべすべとか、ふわふわとか、そういった言葉を頼りしてに縫いあげる。
すると、例えば和服は一つ完成された型であることに気付いて、その型にコットンの凸凹した生地を重ねて
日常的に着れる形にした。そしてそれらは、ショーを終えた後、片方は僕のシャツとして、もう片方はパジャマとして着られているのだ。
1.結
2,これは僕が服を作り始めてからずっと感じていることだが、服造りにはかなりの時間と労力がかかる。
オートクチュールか、プレタポルテかで、服にかけた労力への評価は大きく変ってくるけれど、
いずれにせよ、1つの服の必要とする時間はとても長い。
まず最初に服をデザインして、そのデザインをパターンにして、そのパターンに沿って生地を切って縫って、出来た服を運搬して、
運ばれた服を展示(販売)する。
さらに生地を編む人も別の時間軸で存在するので、これをビジネスと置き換えて考えると、1つの服が消費者に届くまでにかかる環境エネルギー、
人的エネルギーは計り知れない。
ここでファストファッションなどで実際に売られている服をみると、服の原価を疑うほどに価格が抑えられており、
サービスに還元される金銭的価値が著しく低いように思う。実際の価格構成を知ってるわけではないけれど、
それでも時給換算してみると一着を数分で作って、数分で運んでいるんじゃないかと思わせられる。
その上で、「服を購入するのは、たいていファストファッションだ」という人がマジョリティーである限りは、市場は低価格が基準のままであり、
サービスに対する対価はずっと支払われない。
そこでサービスを可視化して、デザインに落とし込めないかと思った。例えば、一着の服に携わった人を記号化して、タグに表記すれば
情報の密度が表面化し、服の重みが変ってくるだろう。大衆消費者の意識を変えることは、難しいけれども、
お洒落の評価基準の1つに情報の密度が加われば、サービスに対するリスペクトと、支払われる対価は少しずつ変わってくるんじゃないないだろうか。
2.結
3,「小さな声」は、今回の服の個人のテーマであったが、
しかし、ショーのために探し、当てはめたのではなく、ただ私の生活態度の一部を映し出したに過ぎない。
衣服に限らず、生活に全てにおいて(特に精神的な面で)小さな自分はどこかに存在するんだと思っていて、
さらに言えば、僕がどれだけ大人になろうと、小さな自分は私世界のどこかに居続けるんだと考えている。
ここで改めて小さい自分は何かと考えてみると、それは、本能とは別の文脈で形成された自己の性格で、
自分の小さいときに受け取った実世界の美しい面、恐ろしい面の写し鏡何じゃないかと思う。
例えばそれが、小さくとも私の根っこ深くに植わっているとするならば、どうせ一生付き合っていくのだから、どう生きようとか、どう働こうかと考えたときに、
一度、小さな声に耳を傾けてあげたいと思う。
3.結